今年は、非常に珍しいことに、灘高の生徒が入学してきました。東海高校は地元の高校なので珍しくありませんが、灘高は兵庫県の高校なので、非常に珍しいです。今年の春に入学し、現在、御器所校で学んでいます。
灘高の生徒はどうやって名古屋にあるソフィア外語学院までやって来るのだろうかと思ったのですが、どうやら家は名古屋にあり、灘高には、毎日、新幹線で通っているのだそうです。
もったいないですね。
そんな話をしたら、お母さんは、「そう言われると思った。」と言われました。
お金と時間がもったいないです。しかし、通学定期を使うと、下宿させるのとあまり変わらないみたいで、しかも、灘高の生徒は県外から通う生徒が非常に多いらしいです。そうなると、もったいないのは、主に時間ですが、新幹線に乗っている間は、寝ているそうです。その手がありましたか・・・(笑)。
もったいないと思うのは、日本中、どこの高校に行っても、習うことは高校で習うことなので、私は、移動時間がもったいないと思うのです。灘高に行ったからと言って、高校では習わない様なことを習うわけではありません。たとえば、灘高に行っても、変形生成文法が習えるというわけではありません。
私は行った大学が行った大学なので、開成高校とか浦和高校などの有名高校を卒業した人に囲まれていましたが、ネクサス理論すら知らないので、驚いた記憶があります。確かに、ネクサス理論は中学や高校ではやりません。それでわかったのですが、高校は全国どこでも高校で習うことを教えているだけなのです。
まあ、そんな人たちとは付き合っていられないので、大学ではマイペースで勉強していました。だから、高校はどこでもいいのではないかというのが、私の個人的な意見です。できれば、できる限り近いところがいいですよね。
たまに、私は、東京外国語大学を卒業した他の人と同じレベルだと思われている節があるのですが、ああいう人たちと同じにしてもらっては困りますね。
そんな事を、大学在学中にも言っていたので、みんなからとても好かれていました。
それにしても、勉強は決して怠らずに、マイペースでやっていくべきだと思います。
さて、この灘高の生徒さんは、きっと非常に頭がいいので、教えるとどんどん伸びる・・・と言う様にみなさん思うかもしれません。人に言うと、だいたいそういう反応ですね。
どんどん伸びる生徒がうちに入ってくることなど、まずありません。これが現実なので、なぜソフィア外語学院に入ろうとしたのかが最初の焦点でした。
最初からお母さんから聞いたので、造作もありませんでした。実は、数学はよくできるのに、英語だけ伸びないのだそうです。英語だけと言うこともないかもしれないと思ったので、その後、いろいろ聞いたり、調べたりしましたが、国語もだめでした。現代文、古文、漢文ともに全滅状態です。
記憶力もあまりないらしく、記憶力が必要な教科は苦戦しているようでした。苦戦していても、偏差値が60から65もあるので、普通の高校の生徒から見たら、神レベルでしょうね。
要するに、数学に特化した天才のような人です。何しろ、模試でこけても、数学は全国30位以内ですからね。普通の常識では考えられません。ところが、他は全然だめみたいです。
それにしても、偏差値60前後というのは、何とか学校の授業がわかると言うレベルに過ぎないので、確かに、そういう意味では、大したことがないかもしれません。「できる」というのは、65を超えたぐらいです。
ただ、今時は、偏差値75でも学力ゼロです。上記は、あくまでも私が子どもの時の話です。
灘高の生徒を指導して発見したことは、テストの結果と実力が乖離(かいり)していることです。つまり、テストの得点が高得点でも、実際にそれだけの実力があるかというと、まるでありません。単にテストで点が取れているだけです。
非常に不思議な現象ですが、大昔の記憶をたどると、東京外国語大学の英米語学科の学生は、だいたいみんなそういう人たちでしたね。テストで高得点が取れるので、東京外国語大学の英米語学科に入学したわけですが、それに見合った実力はまるでありませんでした。要するに、頭がいいだけです。
こういう特殊な人たちは、本当に難しいです。いったい本当の実力はどれだけあるのか、テストの点からは見当もつきません。
学生時代、大学一年生の時に、東京外国語大学の英米語学科の他の学生があまりにも英語ができないので、英語の授業を担当していた先生に、「他の学生はあまりにもレベルが低いので、先生の授業にはついて行けないと思います。ぜひレベルを下げた授業をやってもらえませんか?」と授業中にお願いしたことがあります。
「こんなレベルの学生を相手にした授業などできません。わかるでしょう?」という意味のことを言われたことがあります。
辞書を引いても教科書すら満足に読めないのが、他の大学の学生なので、確かに、東京外国語大学の英米語学科の学生は、全国的に見れば、突出して英語のできる学生ではありますが、辞書を引かないと小説も読めないような者を相手にD.H.ローレンスの小説なんか読ませるのでしょうか?
当時、東京外国語大学では、1年生から2年生になれるのは、半数ぐらいだったので、もう少しレベルを下げて救済してやってもよかったのではないかと思ったのです。
それにしても、半数しか2年生になれないという状況なので、みなさん目をるんるんとさせて楽しそうでしたね。授業の度に毎回やっているテストで、みなさん、20%から30%ぐらいしか取れないようで、大学では60%以上取れないと、進級できませんから、お節介にも私が心配するのも無理はありません。
こういう学生ばかり相手にしている大学では、こういう学生が点を取れない問題がわかっているので、どうしたって点が取れないようなテストばかりやるのです。
で、半数死にました。実際に、死んだ人もいます。
テストの点と実力がまるで違うと言うのは、とても怖い結果を招くと思います。だから、きちんとした教育を行うためには、徹底的に正確に実力を把握する必要があるのです。
重大な障害でもない限り、きちんと学力を把握した上で指導を行えば、ちゃんと学力は伸びます。
この灘高の生徒の場合、何がそんなにすごかったかというと、たとえば、国語では、ソフィア外語学院の日本語のテストで、わずか一ヶ月半で50点満点中27点から35点という高得点が取れるまでにしたのですが、実際の実力は、10点~15点相当なのです。これは、偏差値でいうと27相当のアップですが、実力はちょっと伸びただけなのです。
英語の方もしかりで、ソフィア外語学院の総合英語テストCTEにおいて、最初94点だったのを、わずか5か月で、138点を取るまでにしたのですが、実際の実力は、40点から50点ぐらいしかありません。(なお、いずれも、集中授業を行った結果です。週2時間の通常授業だけでこの様な学力向上はむりです。)
実力が上がっているのは、実感するのですが、ここまでテストの点と実際の実力がかけ離れていると、なかなか一筋縄には行きません。
英語の点が138点で何がおかしいかというと、これは帰国子女が取る点だからです。帰国子女はだいたい110点から130点台ぐらいです。たまに突出して140点以上取る優秀な帰国子女もいます。今、本山校に帰国子女がいて、英語のネイティブ・スピーカーの友人から電話がかかってくると、普通に英語でしゃべっていますが、この生徒のCTEの得点は140点ほどであり、あまり差がありません。
灘高の生徒は、そもそも、発音練習で、単語三つか四つずつで区切らないと、英語の文が声を出して読めません。英語で電話するなんて、到底無理です。
この灘高の生徒は、得点と実力が乖離していますが、実際に英語力が上がり、得点も上がってきているので、非常に満足して勉強していらっしゃいます。前に通っていた塾は、どこにでもあるような普通の塾だったそうですが、全然、伸びなかったそうです。
このまま努力を続ければ、かなりいい線行くかもしれませんが、まだまだ先には困難が山ほど待ち構えているでしょう。
しかし、数学だけでは未来がありません。数学と英語ができれば、未来は大きく開けてくるので、がんばってほしいものです。